三菱重工爆破事件 通称: 連続企業爆破事件

結末 1987年3月、最高裁が上告を棄却し、首謀格の被告2人の死刑が確定

発生日 1974年8月30日(昭和49年) 1974年(昭和49年)の事件 / 8月30日に起きた事件
経過 発生から52年2か月 1987年3月24日の確定から39年7か月
発生場所 東京都 千代田区丸の内(三菱重工業本社ビル)
種別 テロ・無差別襲撃
状態 判決確定
被害 死者 8人  負傷者 376人
1974年(昭和49年)8月30日、東京・丸の内の三菱重工業本社ビルで時限爆弾が爆発し、8人が死亡、376人が重軽傷を負った。過激派組織「東アジア反日武装戦線」による一連の企業爆破テロの一つで、主犯格には死刑判決が確定した。
三菱重工爆破事件を象徴する概念イラスト
※イメージ画像(生成AIによる概念イラストであり、実際の現場・関係者を写したものではありません)
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事件の経過

1974年8月30日午後0時43分ごろ、東京都千代田区丸の内の三菱重工業本社に男の声で「三菱重工前の道路に爆弾二個を装置したから、すぐ避難するように。これは冗談ではないぞ」という予告電話があり、その直後の午後0時45分ごろ、本社ビル1階正面玄関前の歩道上にあったコンクリート製の植木鉢付近で時限爆弾が爆発した。警察庁長官の国会報告によれば、付近にいた通行人ら8人(うち即死5人)が死亡し、289人(重傷38人、軽傷251人)が負傷したほか、付近のビルの窓ガラスなどが壊れ、駐車中の車9台が大破・中破した(負傷者はその後376人とされる)。爆弾は、ダイナマイト10キログラム以上を「ペール缶」と呼ばれる円筒形の金属缶2個に詰め、9ボルトの積層乾電池と旅行用時計2個で時限式の起爆装置を施したものだった。犯行は、反企業・反国家を掲げる過激派組織「東アジア反日武装戦線」のグループの一つによるもので、同グループは犯行を「ダイヤモンド作戦」と呼称していた。後の判決によれば、このグループ(「狼」)は同年8月、天皇を暗殺するため天皇の乗る特別列車が通過する荒川鉄橋を爆破しようと準備したが実行に至らず、その直後に三菱重工業本社を標的にした。使用された爆弾は、この列車爆破計画のために用意されていた強力なものを転用したとみられ、市街地のビル前で使用されたことで被害が想定を超えて拡大したとされる。
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捜査と裁判

警視庁は1975年5月19日、同年4月の韓国産業経済研究所爆破事件の容疑で、都内で7人、仙台市で1人の計8人を一斉に逮捕した。このうち1人は逮捕直前に毒物を飲んでおり、取り調べ中に死亡した(青酸化合物による中毒死)。さらに2人が共犯として指名手配された。警察庁の国会報告によれば、東アジア反日武装戦線は「狼」「大地の牙」「さそり」の3グループからなり、三菱重工爆破以来の11件に及ぶ一連の企業爆破事件はすべて同戦線の犯行と判明した。このうち「狼」グループが三菱重工と帝人中央研究所の爆破を実行し、「大地の牙」が三井物産・大成建設など、「さそり」が鹿島建設などの爆破を担い、3グループ共同で間組本社と大宮工場の同時爆破も行った。東京地方検察庁は同年6月28日に起訴した。裁判では首謀格の被告2人に死刑判決が言い渡され、1987年3月24日、最高裁判所が上告を棄却して死刑が確定した。犯行グループは複数の班に分かれて活動しており、三菱重工爆破事件は各班による一連のテロの中でも最も多くの犠牲者を出した事件だった。逮捕された被告のうち1人は逮捕直後に自殺しており、組織の実態解明は難航した。爆弾闘争を担ったメンバーの多くは、当時20代から30代の若者であり、大学を中心とした学生運動の流れの中から過激化していった経緯も、後年の研究でたびたび検証されている。

その後の影響

一連の企業爆破事件は、日本国内における過激派による無差別テロの脅威を社会に強く印象づけ、警備・警戒体制の強化につながった。死刑が確定した2人のうち1人は、刑の確定後も獄中にとどまり、2017年5月に病死した。逮捕された実行犯の一人は、その後別の重大事件を巡る「超法規的措置」で釈放されて国外に逃亡し、国際指名手配を受けたまま現在も所在が分かっていない。事件から半世紀を経た現在も、公安当局による捜査は続けられている。

審理・経過の流れ

  1. 事件・事故 1974年8月30日
  2. 逮捕 1975年5月19日 +262日
  3. 判決 1987年3月24日 +4,327日

経過

  1. 1974年8月30日
    昭和49年

    事件・事故 三菱重工業本社ビルで爆弾が爆発

    午後0時45分ごろ、予告電話の直後に正面玄関前で爆発。事件直後の警察の集計で死者8人・負傷者289人(のちに376人とされる)。

  2. 1975年5月19日
    昭和50年

    逮捕 東アジア反日武装戦線のメンバー8人を一斉逮捕

    韓国産業経済研究所爆破事件の容疑で逮捕。うち1人は服毒により死亡した。

  3. 1987年3月24日
    昭和62年

    判決 最高裁判所が上告を棄却し死刑確定

    最高裁判所

出典・公的資料

一次資料 5件 判決文・白書・調査報告書・法令など、原典にあたれる資料を掲載しています。

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「三菱重工爆破事件」事件JP、2026年10月31日閲覧。https://jiken.jp/cases/1974-mitsubishi-heavy-industries-bombing/
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更新履歴

  • 2026年10月3日 一次資料補強:国会会議録(警察庁長官・警備局長らの報告)と東京地裁判決(2002年)を出典に追加。爆発時刻を午後0時25分から0時45分に、逮捕者を7人から8人(うち1人死亡)に、一連の事件数を9件から11件に訂正し、予告電話・爆弾の構造・3グループの分担・荒川鉄橋爆破計画を加筆
  • 2026年9月23日 報道記事のtype分類をpress→otherに修正(press=官公庁発表専用のルールに合わせる)
  • 2026年9月23日 死刑確定者数を単数→2人に訂正(実名は不使用のまま)、出典追加
  • 2026年7月20日 初版公開

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