三菱重工爆破事件

発生日 1974年8月30日(昭和49年)
経過 発生から51年10か月 1987年3月24日の確定から39年4か月
発生場所 東京都 千代田区丸の内(三菱重工業本社ビル)
種別 テロ・無差別襲撃
状態 判決確定
被害 死者 8人  負傷者 376人
1974年(昭和49年)8月30日、東京・丸の内の三菱重工業本社ビルで時限爆弾が爆発し、8人が死亡、376人が重軽傷を負った。過激派組織「東アジア反日武装戦線」による一連の企業爆破テロの一つで、主犯格には死刑判決が確定した。

事件の経過

1974年8月30日午後0時25分ごろ、東京都千代田区丸の内にある三菱重工業本社ビル1階の出入り口付近に仕掛けられた時限爆弾が爆発した。爆発により8人が死亡、376人が重軽傷を負った。犯行は、反企業・反国家を掲げる過激派組織「東アジア反日武装戦線」のグループの一つによるもので、同グループは犯行を「ダイヤモンド作戦」と呼称していた。使用された爆弾は、同年8月14日に決行予定だった別の計画のために用意されていた、列車を破壊する目的の強力なものを転用したとみられ、市街地のビル前で使用されたことで被害が想定を超えて拡大したとされる。

捜査と裁判

警視庁の捜査により、このグループはその後も8か月余りにわたり合計9件の爆弾テロを実行していたことが判明した。主要メンバー7人は1975年5月19日に一斉に逮捕され、東京地方検察庁は同年6月28日に起訴した。裁判では首謀格の被告に死刑判決が言い渡され、1987年3月24日、最高裁判所が上告を棄却して死刑が確定した。犯行グループは複数の班に分かれて活動しており、三菱重工爆破事件は各班による一連のテロの中でも最も多くの犠牲者を出した事件だった。逮捕された被告のうち1人は逮捕直後に自殺しており、組織の実態解明は難航した。爆弾闘争を担ったメンバーの多くは、当時20代から30代の若者であり、大学を中心とした学生運動の流れの中から過激化していった経緯も、後年の研究でたびたび検証されている。

その後の影響

一連の企業爆破事件は、日本国内における過激派による無差別テロの脅威を社会に強く印象づけ、警備・警戒体制の強化につながった。首謀格の被告は、刑の確定後も獄中にとどまり、2017年5月に病死した。逮捕された実行犯の一人は、その後別の重大事件を巡る「超法規的措置」で釈放されて国外に逃亡し、国際指名手配を受けたまま現在も所在が分かっていない。事件から半世紀を経た現在も、公安当局による捜査は続けられている。

審理・経過の流れ

  1. 事件・事故 1974年8月30日
  2. 逮捕 1975年5月19日 +262日
  3. 判決 1987年3月24日 +4,327日

経過

  1. 1974年8月30日
    昭和49年

    事件・事故 三菱重工業本社ビルで爆弾が爆発

    死者8人、負傷376人。

  2. 1975年5月19日
    昭和50年

    逮捕 主要メンバー7人を一斉逮捕

  3. 1987年3月24日
    昭和62年

    判決 最高裁判所が上告を棄却し死刑確定

    最高裁判所

出典・公的資料

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「三菱重工爆破事件」事件データベース jiken.jp、2026年7月29日閲覧。https://jiken.jp/cases/1974-mitsubishi-heavy-industries-bombing/

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更新履歴

  • 2026年7月20日 初版公開

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