クアラルンプール事件
| 発生日 | 1975年8月4日(昭和50年) 〜 1975年8月8日 |
|---|---|
| 経過 | 発生から50年11か月 2011年9月12日の確定から14年10か月 |
| 発生場所 | マレーシア・クアラルンプール(アメリカ総領事館・スウェーデン大使館) |
| 種別 | テロ・無差別襲撃 |
| 状態 | 未解決 |
| 被害 | 死者 0人 |
1975年(昭和50年)8月4日、マレーシアの首都クアラルンプールで、日本赤軍のメンバー5人がアメリカ総領事館とスウェーデン大使館の入居するビルを襲撃・占拠し、総領事ら52人を人質に立てこもった事件。犯人グループは日本国内で勾留・服役中の活動家7人の釈放を要求し、日本政府は「超法規的措置」としてこれに応じた。占拠は8月8日、犯人グループがリビアへ出国・投降して終結し、人質は全員解放された。
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事件の経過
1975年(昭和50年)8月4日午前11時ごろ(日本時間同日正午過ぎ)、マレーシアの首都クアラルンプールで、日本赤軍のメンバー5人が拳銃と手榴弾で武装し、アメリカ総領事館とスウェーデン大使館が入居するビルを襲撃・占拠した。犯人グループは奥平純三・日高敏彦・和光晴生らを中心とする日本赤軍メンバーで構成されていた。犯人グループはアメリカ総領事ら各国外交官・大使館員ら合わせて52人を人質に取り、日本国内で勾留・服役中の活動家7人の釈放、事件現場までの移送、出国用航空機の提供を日本政府に要求した。マレーシア政府・日本政府・犯人グループの三者交渉が続けられ、占拠は8月8日まで5日間に及んだ。
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「超法規的措置」とその後
当時の三木武夫内閣は、超法規的措置として要求に応じる方針を決定した。名指しされた7人のうち坂口弘・松浦順一は参加を拒否したが、西川純・戸平和夫・坂東國男・松田久・佐々木規夫の5人は日本赤軍への参加に応じ、クアラルンプールへ移送された。犯人グループは8月7日、釈放された5人とともに日本航空機をチャーターしてリビアへ出国し、翌8日にリビア政府に投降した。人質は全員解放され、死傷者は出なかった。日本政府が服役中の受刑者を含む活動家を実際に釈放した前例のない対応は、その後の日本のテロ対策や超法規的措置の是非をめぐる議論の出発点となった。釈放された西川純・和光晴生は後に国内で逮捕・起訴され、それぞれ2011年・2009年に無期懲役が確定したが、奥平純三・坂東國男・松田久・佐々木規夫は事件から半世紀近くを経た現在も国際手配が続いている。
経過
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1975年8月4日
昭和50年事件・事故 アメリカ総領事館・スウェーデン大使館を占拠
日本赤軍メンバー5人が武装してビルを占拠し、52人を人質に取る
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1975年8月7日
昭和50年その他 日本政府、活動家5人を釈放しクアラルンプールへ移送
超法規的措置として西川純・戸平和夫・坂東國男・松田久・佐々木規夫を釈放
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1975年8月8日
昭和50年その他 犯人グループ、リビアへ出国・投降し人質全員解放
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2009年10月27日
平成21年判決 和光晴生、上告棄却により無期懲役確定
最高裁判所第一小法廷
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2011年9月12日
平成23年判決 西川純、上告棄却により無期懲役確定
最高裁判所第一小法廷
出典・公的資料
- その他
- その他
- その他
- 公的発表・広報
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「クアラルンプール事件」事件データベース jiken.jp、2026年7月29日閲覧。https://jiken.jp/cases/1975-kuala-lumpur-incident/
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更新履歴
- 2026年7月21日 初版公開
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