瀬戸内シージャック事件 通称: ぷりんす号シージャック事件

発生日 1970年5月12日(昭和45年) 〜 1970年5月13日
経過 発生から56年3か月
発生場所 広島県 広島港〜松山港(瀬戸内海)
種別 テロ・無差別襲撃
状態 終結
被害 死者 0人
1970年(昭和45年)5月12日、広島港に停泊中の旅客船がライフル銃を持った男に乗っ取られ、乗客・乗員が人質となった事件。船は瀬戸内海を航行した末、翌日、投降を拒んだ男が警察官に射殺されて終結した。
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事件の経過

1970年5月12日、広島県の広島港に停泊していた旅客船に、ライフル銃を所持した男(当時20歳)が乗り込み、乗客・乗員合わせて40人余りを人質にとって船を出港させた。男は航行中、周辺を航行する船舶や上空の警察ヘリコプターに向けて銃を乱射し、周辺は騒然となった。
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人質解放と籠城の継続

船は瀬戸内海を航行し、翌13日に愛媛県の松山港に入港した際、男は乗客ら多くの人質を解放した。しかし、乗員の一部を人質に取ったまま船を広島港へ引き返させ、立てこもりを継続した。家族らが説得にあたったが、男は要求に応じず発砲を続けた。

事件の終結

説得に応じず銃撃を続ける男に対し、警察は正当防衛の状況にあると判断して発砲し、男は死亡した。人質となっていた乗員らは無事保護され、事件は終結した。旅客船が凶器を持った1人の男によって長時間にわたり支配された事件として、当時の海上における警備・危機対応のあり方に大きな課題を残した。

当時相次いだハイジャック事件との関連

この事件が起きた1970年は、3月によど号ハイジャック事件が発生するなど、乗り物の乗っ取り事件が社会の注目を集めた年であった。瀬戸内シージャック事件は、船舶を対象とした同種事件として、当時の警備体制の課題を浮き彫りにした。

警備体制への影響

事件を受け、旅客船の警備体制や、不審者の乗船を防ぐための保安対策の強化が求められるようになった。長時間にわたり一般旅客が人質となった事件として、海上における危機管理のあり方に大きな課題を残した。

瀬戸内海での交通・警備体制

事件後、瀬戸内海を航行する旅客船においては、乗船時の手荷物確認や不審者への警戒など、保安体制の見直しが図られた。

犯人の人物像をめぐる報道

事件を起こした男は、事件前から精神的に不安定な状態にあったとの見方が報じられた。個人の犯行が多数の一般人を巻き込む重大事件に発展した点で、単独犯による公共交通機関を狙った事件の危険性を印象づけた。

「ぷりんす号」という船名

乗っ取られた旅客船は「ぷりんす号」という名称であったことから、事件は「ぷりんす号シージャック事件」とも呼ばれる。瀬戸内海の定期旅客航路で発生した事件として、地域の海上交通史にも記録されている。

経過

  1. 1970年5月12日
    昭和45年

    事件・事故 男が旅客船を乗っ取り人質をとる

  2. 1970年5月13日
    昭和45年

    その他 説得に応じない男を警察官が射殺し事件が終結

出典・公的資料

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「瀬戸内シージャック事件」事件JP、2026年9月8日閲覧。https://jiken.jp/cases/1970-seto-inland-sea-hijacking/

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