よど号ハイジャック事件

現在 1970年4月、犯人グループ9人は北朝鮮に入国。警察は北朝鮮にとどまる被疑者の国際手配を続けている

この事件は捜査中です。 判決が確定していない被告人・被疑者は、有罪判決が確定するまで無罪と推定されます。記述は2026年10月19日時点で確認できた公的資料・報道に基づいており、今後の審理により変わる可能性があります。

発生日 1970年3月31日(昭和45年) 1970年(昭和45年)の事件 / 3月31日に起きた事件
経過 発生から56年6か月
発生場所 東京都 東京国際空港(羽田空港)発、福岡・ソウル経由で平壌へ
種別 テロ・無差別襲撃
状態 捜査中 公訴時効早見表で制度を確認できます
被害 死者 0人  負傷者 0人
  • 事故・災害が変えた安全対策日本初のハイジャック事件を受け、空港での手荷物検査・金属探知機によるボディチェックの導入という航空保安対策強化の直接の契機となった。
1970年(昭和45年)3月31日、日本航空351便「よど号」が、共産主義者同盟赤軍派を名乗る9人にハイジャックされた。犯人グループは福岡空港・ソウルの金浦国際空港を経由したのち、北朝鮮の平壌に着陸し、そのまま亡命した。運輸政務次官が人質の身代わりとして同行し全乗客が解放された、日本初のハイジャック事件である。
よど号ハイジャック事件を象徴する概念イラスト
※イメージ画像(生成AIによる概念イラストであり、実際の現場・関係者を写したものではありません)
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事件の経緯

1970年3月31日、東京発福岡行きの日本航空351便「よど号」(ボーイング727型機)が、共産主義者同盟赤軍派を名乗る9人の男によってハイジャックされた。犯人グループは日本刀や爆弾(後に模造品と判明)を所持しており、機長らに北朝鮮への移動を要求した。
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共産主義者同盟赤軍派という組織

共産主義者同盟赤軍派は、1969年に結成された新左翼系の武装闘争路線を掲げる組織で、警察の追及が強まる中、国外に拠点を築く方針のもとで本件ハイジャックを計画したとされる。犯人グループは「われわれは明日のジョーである」との声明を残しており、当時の若者文化とも結びついた事件として記憶されている。

人質解放と身代わり交渉

機は福岡空港に着陸し、犯人側は人質の一部を解放した。その後、機は韓国のソウル・金浦国際空港に着陸したが、犯人側は同地を北朝鮮の平壌と誤認していたとされる。日本政府は山村新治郎運輸政務次官を人質の身代わりとして搭乗させることで交渉をまとめ、残る乗客・乗員は全員解放された。

航空保安対策への影響

本事件を機に、日本の空港では手荷物検査・金属探知機によるボディチェックの導入が進められ、その後の航空機の警備体制強化の直接的な出発点となった。国際的にも日本発のハイジャック事件として大きく報じられ、各国における航空保安規則の見直しに影響を与えたとされる。

北朝鮮への亡命

1970年4月3日、よど号は北朝鮮・平壌近郊の美林飛行場に到着し、犯人グループはそのまま北朝鮮への亡命を果たした。運航乗務員と山村政務次官はその後解放されて日本に帰国したが、犯人グループの9人は北朝鮮に残留し、以後「よど号グループ」として活動を続けた。よど号事件は、日本の新左翼運動史における転換点の一つとしても位置づけられ、その後の連合赤軍事件や東アジア反日武装戦線など、より過激化した武装闘争路線への流れを準備した事件として言及されることも多い。

その後のよど号メンバーをめぐる動き

北朝鮮に残留したメンバーの一部は、その後日本人拉致問題との関連が疑われ、日本の警察当局から国際手配を受けている。メンバーの妻の一部は日本国内で逮捕されるなど、事件の影響は数十年にわたり日朝関係や日本国内の捜査に波及し続けている。

事件の位置づけとその後

本件は日本国内で発生した初めてのハイジャック事件であり、日本の航空保安対策の抜本的な強化(手荷物検査の導入等)を促す直接の契機となった。北朝鮮に残留したメンバーの一部は、後年、日本人拉致事件への関与が指摘されるなど、事件の影響は長期にわたって及んでいる。警察庁によると、2016年時点でハイジャックに関与した被疑者5人とその妻3人が北朝鮮にとどまっているとみられ、警察は被疑者らの国際手配を続けている。

国際社会への影響

よど号事件は、日本国内だけでなく国際的にも大きく報じられ、朝鮮半島情勢や東アジアの冷戦構造の中での日本の立ち位置を改めて浮き彫りにした。事件を機に日本と北朝鮮との間の緊張関係が強まり、以後の日朝関係における懸案事項の一つとして、長期にわたり外交上の課題であり続けている。よど号事件を題材にした映画やドキュメンタリー、ノンフィクション作品も複数制作されており、日本の戦後史における新左翼運動の帰結を象徴する事件として、今日でも繰り返し検証の対象となっている。

経過

  1. 1970年3月31日
    昭和45年

    事件・事故 よど号がハイジャックされる

    赤軍派を名乗る9人が日航機を乗っ取った。

  2. 1970年4月3日
    昭和45年

    その他 犯人グループが北朝鮮に亡命

    よど号は平壌近郊に着陸し、犯人グループが亡命した。

出典・公的資料

一次資料 1件 判決文・白書・調査報告書・法令など、原典にあたれる資料を掲載しています。

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「よど号ハイジャック事件」事件JP、2026年10月27日閲覧。https://jiken.jp/cases/1970-yodogo-hijacking/
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更新履歴

  • 2026年10月19日 北朝鮮にとどまる被疑者の状況を警察白書で補い、状態を「捜査中」に改めた
  • 2026年9月25日 出典type分類を訂正(press→other、nippon.com)
  • 2026年8月19日 初版公開

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