金井ビル火災

発生日 1966年1月9日(昭和41年) 1966年(昭和41年)の事件 / 1月9日に起きた事件
経過 発生から60年9か月
発生場所 神奈川県 川崎市(駅前本町)
種別 事故
状態 終結
被害 死者 12人  負傷者 14人
  • 事故・災害が変えた安全対策キャバレーから出火した中規模ビルで、防火区画のない階段が煙の通り道となり12人が死亡。消防庁は建築基準法令の改正を要望し、1966年12月の消防法施行令改正(防火管理者・避難器具・自動火災報知設備)などビル防火規制の見直しにつながった。
1966年(昭和41年)1月9日午前0時58分ごろ、神奈川県川崎市駅前本町の金井ビル(耐火造・地上6階地下1階)の3階キャバレー女子更衣室から出火し、上階にいた12人が一酸化炭素中毒で死亡、14人が負傷した火災。焼損は延べ床面積の49%にとどまったが、防火区画のない2か所の階段が煙の通り道となり、死者はすべて6階で見つかった。自動火災報知設備は受信機の電源が切られていて作動しなかった。消防庁は国会でビル火災の煙と避難の問題を取り上げ、同年12月の消防法施行令改正(防火管理者制度・避難器具・自動火災報知設備の規制強化)など、ビルの防火規制の見直しにつながった。
金井ビル火災を象徴する概念イラスト
※イメージ画像(生成AIによる概念イラストであり、実際の現場・関係者を写したものではありません)
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火災の発生

1966年1月9日午前0時58分ごろ、川崎市駅前本町の金井ビルで火災が起きた。金井ビルは1960年3月に建築確認を受け、1961年4月に竣工した耐火造の地上6階・地下1階の建物で、延べ床面積は1,398.69平方メートル。地下1階が喫茶店と倉庫、1階がパチンコ店、2階がスマートボール場、3・4階がキャバレー、5階が住宅・事務室・倉庫、6階が従業員住宅と機械室で、屋上にもプレハブの住宅があった。出火場所は3階キャバレーの女子更衣室の木製ロッカー付近で、出火時に3階には人がいなかった。4階の客席では従業員の新年宴会が終わったあと17人が残っていて、その一人が3階の吹き抜け部分から白煙が上がってくるのに気づいた。従業員らはビールびんを投げつけたり消火器を使ったりして初期消火を試みたが、屋内消火栓のホースは切り離されていて結合に手間取り、延長したホースも火元に届かなかった。従業員は消火をあきらめ、階段から全員屋外へ避難した。5階にいたビル所有者の家族が火災に気づき、居室の電話で119番通報した。通報は出火から約5分後で、消防の覚知は午前1時3分、鎮火は午前4時38分だった。
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被害と救助

死者は12人、負傷者は14人だった。死者12人はすべて6階で見つかり、死因は一酸化炭素中毒とされる。6階は階段付近の一部を除いてほとんど焼けておらず、死者の身体や着衣にも焼けた痕はなかった。ほとんどの人が身支度を整えており、火災に気づいて避難を始めようとしたところで煙に巻かれたとみられている。焼損面積は3階から屋上にかけて691.5平方メートルで、延べ床面積の49%、焼損程度は「半焼」に区分された。消防の先着隊が到着したとき、4階より上は猛烈な煙と熱気で進入が難しかった。はしご車は全伸17メートルで4階のひさしのあたりまでしか届かず、5・6階への進入も5階への有効な放水もできなかった。屋上のプレハブにいた人と6階から逃げた人の計7人は、屋上で救助を待ち、消防隊が隣のビルから投げた救助ロープを屋上の金網に結んで、一人ずつ綱渡りで隣のビルの屋上へ避難した。火災の規模が比較的小さいのに多くの犠牲者が出たこと、全国どこにでもある典型的なペンシルビルだったことから、この火災は社会の注目を集めた。

被害が拡大した要因

出火原因は不明とされた。ホステスの着衣にたばこの火が付いたまま収納したか、くわえたばこをロッカーに置いたまま閉めた可能性が推定されたが、断定には至っていない。消防防災博物館の事例資料は、延焼と煙の拡大について次の点を挙げている。出火した更衣室の区画は合板クロス張りの木造の間仕切りで、内装も燃えやすく、隣には吹き抜けがあった。火は吹き抜けから4階へ燃え広がり、階段の壁を伝って屋上まで延焼した。3階部分の階段は、完成検査のときには耐火構造で区画されていたが、その後撤去されていた。階段は2か所あったが、どちらも防火区画されておらず、扉の多くに自動で閉まる装置がなかったため、かえって煙の通り道になった。自動火災報知設備は設けられていたが、遊技場の閉店時に受信機の電源を切っていたため、まったく役に立たなかった。3・4階のキャバレーには避難器具が必要だったが、窓を合板でふさいでいたため5階の事務室に救助袋を代わりに置いており、その部屋は終業後に施錠されていた。各階に別々の支配人がいて相互の連絡がなく、訓練や防災教育も行われていなかった。屋上に建てたプレハブ住宅は、階段を通じた延焼を招き、屋上への避難の妨げにもなった。

国会と消防庁の対応

1966年3月17日の衆議院災害対策特別委員会で、消防庁は金井ビル火災を「十二名の死者を出した事故」として報告し、同じ3月に起きた水上温泉の旅館火災とあわせて、ビル火災への対応が最近の大きな問題だと述べた。課題として挙げたのは、煙との戦い、人命救助、避難の問題である。消防庁次長は2月17日、建設省住宅局長あてに、金井ビルの火災を踏まえて建築基準法と同法施行令の改正を検討してほしいと文書で依頼していた。消防庁は国会で、その中に、面積の制限をはずして規模にかかわらず2以上の直通階段を設けるよう建築基準法施行令第121条の改正を検討してほしいという要望が含まれていたと説明している。あわせて、避難器具について定めた消防法施行令第25条の基準を再検討する必要があるとも答弁した。

防火規制の見直し

1966年12月、防火管理者制度の強化と、避難器具・自動火災報知設備に関する規制の強化を内容とする消防法施行令の改正が行われた。消防庁は1968年11月の参議院運輸委員会で、川崎の金井ビルや水上温泉の火災があったことから、旅館・ホテルに避難器具の設置を義務づけるよう施行令を改正して強化したと説明している。建築側では、1969年1月の建築基準法施行令改正で竪穴区画の規制が新設された。専門誌の回顧記事は、金井ビル火災で煙の制御が大きく議論され、1969年の竪穴区画や1970年の排煙設備の規定など、建築基準法令の大きな改正につながったと位置づけている。小林恭一の論文「社会の変化に対応した予防行政の変遷とその果たした役割」は、この火災を、1960年代後半に相次いだ多数の死者を伴う「ビル火災」の一つとし、これらの火災によって社会に「ビル」の防火安全性への不信感が広がったと記している。なお、川崎市消防局は同じ1966年の9月に消防特別救助隊を設置し、32メートル級のはしご付消防ポンプ自動車2台を配置している。

経過

  1. 1966年1月9日
    昭和41年

    事件・事故 金井ビル3階キャバレーから出火

    午前0時58分ごろ出火、4時38分鎮火。6階にいた12人が一酸化炭素中毒で死亡、14人が負傷。

  2. 1966年2月17日
    昭和41年

    その他 消防庁次長が建設省に建築基準法令の改正検討を文書で依頼

    金井ビル火災を踏まえ、建設省住宅局長あてに建築基準法・同法施行令の改正検討を依頼。

  3. 1966年3月17日
    昭和41年

    その他 衆議院災害対策特別委員会で消防庁が報告

    ビル火災の課題として煙・人命救助・避難を挙げる。

  4. 1966年12月
    昭和41年

    その他 消防法施行令を改正

    防火管理者制度の強化、避難器具・自動火災報知設備の規制強化。

  5. 1969年1月
    昭和44年

    その他 建築基準法施行令を改正(竪穴区画の新設)

    竪穴区画の規制を新設。

出典・公的資料

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「金井ビル火災」事件JP、2026年10月27日閲覧。https://jiken.jp/cases/1966-kanai-building-fire/
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更新履歴

  • 2026年10月9日 初版公開

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