新潟県中越地震

発生日 2004年10月23日(平成16年)
経過 発生から21年10か月
発生場所 新潟県 川口町(現・長岡市)ほか中越地方
種別 災害
状態 終結
被害 死者 68人  負傷者 4,805人
2004年(平成16年)10月23日17時56分、新潟県中越地方の深さ13kmを震源とするマグニチュード6.8の地震が発生した。震源地に近い川口町(現・長岡市)で震度7を観測し、1996年の震度階級改正後、震度計による震度7の観測はこの地震が初めてだった。死者68人・負傷者4,805人にのぼり、走行中の上越新幹線が日本で初めて営業運転中に脱線する事故も発生した。
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地震の概要

2004年10月23日17時56分、新潟県中越地方の深さ13kmを震源とするマグニチュード6.8の地震が発生した。震源に近い川口町(現・長岡市)で震度7を観測したほか、小千谷市・長岡市で震度6強、魚沼市・刈羽村で震度6弱を観測した。1996年の震度階級改正以降、震度計によって震度7が観測されたのはこの地震が初めてだった。本震から間もない18時03分にM6.3、18時11分にM6.0、18時34分にM6.5と、規模の大きな地震が相次いで発生し、いずれも震度5強〜6強を観測する群発的な様相を呈したことも大きな特徴だった。
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被害の状況

この地震により68人が死亡、4,805人が負傷した。中山間地を中心に道路の寸断や大規模な地すべりが多数発生し、旧山古志村(現・長岡市山古志地区)は10月25日、住民が自衛隊等のヘリコプターで長岡市内の避難所へ移送される全村避難となった。地震発生時、東京発新潟行きの上越新幹線「とき325号」が浦佐駅〜長岡駅間を走行中で、早期地震検知システムの緊急ブレーキ作動後に8両が脱線した。乗客・乗員155人に死傷者はなかったが、日本で初めての営業運転中の新幹線脱線事故として、その後の脱線・逸脱防止対策強化の契機となった。長岡市妙見町では土砂崩れに巻き込まれた乗用車が長時間発見されず、車内に取り残された母子のうち2歳の男児が発生から92時間後に救助犬の発見をきっかけに救出された一方、母親の死亡が確認された。この事例は、地震発生から数日が経過した後も生存者の捜索・救助を継続する重要性を示すものとして、その後の災害救助のあり方に大きな影響を与えた。

新幹線の逸脱防止対策への影響

この事故を受け、JR東日本は台車にL字型の「逸脱防止ガイド」を装着し、万一脱線した場合でもレールに沿って車両が大きく逸脱しないようにする対策を導入した。この仕組みはその後、東北・上越・北陸・北海道の各新幹線にも順次導入され、レールの転倒を防ぐ装置や脱線防止レールの設置とあわせて、日本の新幹線の地震対策の重要な柱となっている。

交通・生活インフラへの被害

関越自動車道・北陸自動車道は盛土の崩壊や路面の亀裂により通行止めとなり、関越自動車道で一般車両の通行が再開したのは地震発生から13日後の11月5日だった。小千谷市・山古志村など7市町村の61か所で道路が寸断されて1,938世帯が孤立したほか、約3万世帯で停電、約13万世帯で断水が発生するなど、中山間地域のライフラインに深刻な被害が生じた。新潟県の推計では、観光業への風評被害等を含む経済被害総額は約3兆円に上るとされる。

山古志村の全村避難と復興

全村避難した旧山古志村の住民約2,000人は、長岡市内での避難生活を経て、地震から約3年2か月後の2007年12月に「帰村式」を迎え、全集落からおよそ1,400人が帰村した。これは地震発生当時の人口の約7割にあたる。帰村後は、山古志の伝統文化である闘牛(牛の角突き)が復活して年間2万人を超える観客を集めるようになったほか、山古志発祥とされる観賞魚「錦鯉」の養殖業も、後継者による海外展開を通じて国際的な取引先を獲得するなど、地域産業の再生が進んでいる。

車中泊とエコノミークラス症候群という新たな課題

避難所が不足する中、多くの被災者が自家用車内での「車中泊」による避難生活を余儀なくされたが、長時間同じ姿勢を取り続けることによる血栓症(エコノミークラス症候群)が多数報告され、災害医療における新たな課題として注目された。新潟大学の調査では、車中泊をした被災者は避難所で過ごした人に比べて血栓の発生率が約1.5倍高かったとされる。この経験を踏まえ、新潟県・新潟県医師会・新潟大学は「新潟県中越地震深部静脈血栓症・肺塞栓症診療ガイドライン」を作成し、これは後の2016年熊本地震での車中泊避難者への対応にも活用された。

経過

  1. 2004年10月23日
    平成16年

    事件・事故 新潟県中越地震が発生

    川口町で震度7を観測、上越新幹線が脱線した。

  2. 2004年10月25日
    平成16年

    その他 山古志村が全村避難

  3. 2004年11月5日
    平成16年

    その他 関越自動車道の一般車両通行が再開

  4. 2007年12月
    平成19年

    その他 山古志村で「帰村式」

    地震から約3年2か月後、住民約1,400人が帰村した。

出典・公的資料

一次資料 3件 判決文・白書・調査報告書・法令など、原典にあたれる資料を掲載しています。

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レポート・記事などで本ページを参照する際は、以下の表記をご利用ください。

「新潟県中越地震」事件JP、2026年9月15日閲覧。https://jiken.jp/cases/2004-niigata-chuetsu-earthquake/

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更新履歴

  • 2026年8月11日 記事内容を拡充(山古志村の全村避難と復興、車中泊とエコノミークラス症候群の課題などを追加)
  • 2026年7月15日 初版公開

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