沖縄米兵少女暴行事件

結末 1996年3月、那覇地裁で米兵3人に懲役6年6か月〜7年の実刑判決。控訴した2人も棄却され刑が確定

発生日 1995年9月4日(平成7年) 1995年(平成7年)の事件 / 9月4日に起きた事件
経過 発生から31年1か月 1996年3月7日の確定から30年7か月
発生場所 沖縄県 国頭郡金武町
種別 誘拐・監禁
状態 判決確定
被害 死者 0人  負傷者 1人
  • 事件が変えた法律・制度日米地位協定の運用改善合意(1995年10月)と米軍普天間飛行場の返還合意(1996年4月、SACO協議)につながった。
1995年(平成7年)9月4日、沖縄県国頭郡金武町で、女子小学生(当時12歳)がアメリカ軍関係者3人に拉致され暴行を受けた事件。日米地位協定に基づく身柄引き渡しをめぐり日米間で問題となり、沖縄県内で大規模な抗議行動が起きた(同年10月21日の県民大会には主催者発表で約8万5000人、沖縄県警発表では約5万8000人が参加)。3被告は懲役6年6か月から7年の実刑判決が確定した。
沖縄米兵少女暴行事件を象徴する概念イラスト
※イメージ画像(生成AIによる概念イラストであり、実際の現場・関係者を写したものではありません)

事件の経過

1995年(平成7年)9月4日午後8時過ぎ、沖縄県国頭郡金武町で、歩行中の小学生の女子児童(当時12歳)が、キャンプ・ハンセンに勤務するアメリカ海軍水兵1人とアメリカ海兵隊員2人の計3人に無理やりレンタカーに押し込まれた。3人は児童の目や口をガムテープでふさぎ、手足を縛った上で約1.5キロ離れた海岸付近まで連れて行き、車内で乱暴した。警察庁の国会答弁によれば、沖縄県警察は発生直後に被害者家族からの110番通報で事件を認知し、被害者からの事情聴取と米軍当局の協力により、米軍人3人を被疑者として割り出した。沖縄県警察は逮捕監禁と婦女暴行の容疑で3人の逮捕状を取り、身柄の引き渡しをアメリカ側に求めたが、日米地位協定第17条5項(c)は起訴前の被疑者の拘禁継続をアメリカ側に認めており、身柄は起訴されるまで日本側に引き渡されなかった。深谷隆司国家公安委員長は9月20日の参議院決算委員会で、県警が直ちに逮捕への同意を求めたが米軍側が地位協定に基づいて拒否したこと、被疑者は米軍の営倉に拘束され、憲兵隊が連日石川警察署に連行して取り調べが行われていることを説明した。この対応をめぐり、沖縄県内では大規模な抗議行動が広がった。1995年10月21日には、宜野湾市の宜野湾海浜公園で日米地位協定の見直しなどを求める沖縄県民総決起大会が開かれ、沖縄が日本に復帰して以降最大規模となる主催者発表で約8万5000人(沖縄県警発表では約5万8000人)が参加した。当時の沖縄県知事は大会で「幼い少女の尊厳を守れなかった」と述べ、米軍基地の過重な負担を強いられてきた沖縄の現状に異議を申し立てた。

裁判の経過と地位協定の運用改善

那覇地方検察庁は1995年9月29日、3人を逮捕監禁および婦女暴行の罪で那覇地方裁判所に起訴し、これと同時にアメリカ側から身柄が日本側に引き渡された。1996年3月7日、那覇地方裁判所は3被告に対し懲役6年6か月から7年の実刑判決を言い渡した。このうち2被告は福岡高等裁判所那覇支部に控訴したが棄却され、実刑判決が確定した。事件を受け、日米両政府は地位協定第17条5項(c)の運用改善を協議し、1995年10月25日の日米合同委員会で、合衆国は「殺人又は強姦という凶悪な犯罪の特定の場合に日本国が行うことがある被疑者の起訴前の拘禁の移転についてのいかなる要請に対しても好意的考慮を払う」とする刑事裁判手続に関する合意が成立した。外務省北米局長は国会で、この合意により殺人・強姦のような凶悪犯罪について起訴前の段階で被疑者の身柄引き渡しを受ける道が開かれたと説明している。同年11月19日には村山富市首相とゴア米副大統領の会談で「沖縄における施設及び区域に関する特別行動委員会」(SACO)の設置が正式に合意され、翌20日に第1回会合が開かれた。事件はその後、日米地位協定の抜本的な見直しを求める沖縄県民の運動や、米軍基地の整理縮小を協議する日米特別行動委員会(SACO)の設置にもつながった。1996年4月、日米両政府は同委員会での協議を経て、市街地に位置していた米軍普天間飛行場について、5年から7年以内をめどに全面返還することで合意したと発表した。もっとも、この事件を機に浮上した基地返還・移設をめぐる協議はその後も曲折をたどり、返還合意から30年近くが経過した現在も全面返還は実現していない。

審理・経過の流れ

  1. 事件・事故 1995年9月4日
  2. 起訴 1995年9月29日 +25日
  3. 判決 1996年3月7日 +160日

経過

  1. 1995年9月4日
    平成7年

    事件・事故 米兵3人が女子児童を拉致し暴行

    午後8時過ぎ、歩行中の女子小学生が米軍人3人に車で連れ去られ、車内で乱暴された。

  2. 1995年9月29日
    平成7年

    起訴 3人を起訴、身柄が日本側に引き渡される

  3. 1995年10月25日
    平成7年

    その他 日米合同委員会で起訴前の身柄引き渡しの運用改善に合意

    殺人・強姦の凶悪犯罪について、日本側の起訴前の拘禁移転要請に米側が「好意的考慮」を払うこととなった。

  4. 1996年3月7日
    平成8年

    判決 那覇地裁、3被告に実刑判決(後に控訴棄却で確定)

    懲役6年6か月〜7年。うち2被告は控訴するも棄却され刑が確定した

    那覇地方裁判所

出典・公的資料

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「沖縄米兵少女暴行事件」事件JP、2026年10月30日閲覧。https://jiken.jp/cases/1995-okinawa-us-servicemen-assault-case/

更新履歴

  • 2026年10月3日 一次資料補強:国会会議録(警察庁刑事局長・国家公安委員長・首相の答弁)を出典に追加。被害状況を警察庁の説明に合わせて訂正し、逮捕同意の拒否と取り調べの状況、日米合同委員会合意(1995年10月25日)の文言、SACO設置の日付を加筆
  • 2026年9月25日 抗議集会参加者数の出典を明記(主催者発表8万5000人/県警発表5万8000人を併記)、外務省の合意文書を一次資料として追加
  • 2026年7月29日 初版公開

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