伊豆大島三原山噴火

発生日 1986年11月21日(昭和61年)
経過 発生から39年9か月
発生場所 東京都 大島町
種別 災害
状態 終結
被害 死者 0人  負傷者 0人
1986年(昭和61年)11月15日に山頂火口で始まった伊豆大島・三原山の噴火は、21日夕方に山腹での大規模な割れ目噴火へと拡大した。噴煙は高度8,000メートルに達し、溶岩流が中心集落の元町地区背後まで迫ったため、大島町は22日未明までに島民約1万226人全員の島外避難を完了させた。日本で初めての全島民島外避難として知られ、避難生活は12月20日の避難指示解除まで約1か月に及んだ。直接的な死傷者は出ておらず、迅速な避難対応は後年、危機管理の成功例として広く紹介されている。
伊豆大島三原山噴火を象徴する概念イラスト
※イメージ画像(生成AIによる概念イラストであり、実際の現場・関係者を写したものではありません)
広告

噴火の経過

1986年11月15日17時25分、伊豆大島・三原山の火口南壁で噴火が始まった。19日10時35分には溶岩がカルデラ床まで流れ下り、その後いったん小康状態となった。しかし21日昼過ぎからカルデラ北部で地震が頻発し、同日16時15分ごろ、山腹での大規模な割れ目噴火に発展した。噴煙は高度約8,000メートルに達し、山腹に開いた多数の噴火口から溶岩が流出、一部は島の中心集落である元町地区の背後まで迫った。
広告

全島避難

21日17時46分には北西山腹からも新たな割れ目噴火が始まり、溶岩が元町集落に近づいたことから、大島町は同日22時50分に全島避難を決定した。翌22日5時10分、最後の職員が島を離れるまでに島民約1万226人全員の救出が完了した。1957年の三原山噴火では避難指示の遅れから死傷者が出た教訓を踏まえ、迅速な判断が行われたとされる。

避難生活と帰島

避難した島民は東京都内や静岡県内などに分散して受け入れられ、約1か月にわたり本土での避難生活を送った。噴火活動が沈静化したことを受け、大島町は12月20日に避難指示を正式に解除し、島民は帰島した。噴出物の総量は推定約6,000万〜8,000万トンに上るとみられているが、直接的な死傷者は確認されていない。

防災上の意義

1986年の噴火における全島民の島外避難は、日本で初めての事例として知られる。1957年の噴火で避難の遅れにより死者1人・負傷者53人を出した経験を教訓に、行政と住民が迅速に対応した結果、直接的な人的被害を防いだ。この対応は後年、危機管理の成功事例としてメディアでも繰り返し取り上げられている。火口周辺は長期間立入禁止が続き、規制が解除されたのは1996年11月だった。

経過

  1. 1986年11月15日
    昭和61年

    事件・事故 三原山山頂火口で噴火開始

  2. 1986年11月21日
    昭和61年

    その他 山腹での大規模割れ目噴火に拡大、全島避難を決定

  3. 1986年11月22日
    昭和61年

    その他 島民約1万226人の避難を完了

  4. 1986年12月20日
    昭和61年

    その他 避難指示を解除、島民が帰島

出典・公的資料

一次資料 2件 判決文・白書・調査報告書・法令など、原典にあたれる資料を掲載しています。

この記事を引用する

レポート・記事などで本ページを参照する際は、以下の表記をご利用ください。

「伊豆大島三原山噴火」事件JP、2026年9月8日閲覧。https://jiken.jp/cases/1986-izu-oshima-mihara-eruption/

関連する事件

広告

更新履歴

  • 2026年8月12日 初版公開

本ページは公的資料に基づいて作成しています。情報の誤りにお気づきの場合や、掲載内容の削除・訂正のご依頼は お問い合わせ・削除依頼よりご連絡ください。