平安神宮放火事件
| 発生日 | 1976年1月6日(昭和51年) |
|---|---|
| 経過 | 発生から50年8か月 1989年7月14日の確定から37年1か月 |
| 発生場所 | 京都府 京都市左京区(平安神宮) |
| 種別 | 放火 |
| 状態 | 終結 |
| 被害 | 死者 0人 負傷者 0人 |
1976年(昭和51年)1月6日未明、京都市左京区の平安神宮で、新左翼活動家の男が内拝殿に放火し、本殿など主要な社殿が全焼した。祭神である桓武天皇の政治を批判する独自の主張が動機とされる。放火罪に問われた男の裁判では、社殿全体が一個の「現住建造物」に当たるかが争点となり、1989年7月14日に最高裁判所第三小法廷が上告を棄却し、現住建造物等放火罪の成立を認めて有罪が確定した。この判例は、複数の建物が渡り廊下等で接続された建造物の一体性を判断する基準を示した重要な先例として、刑法学で広く参照されている。
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事件の経過
1976年(昭和51年)1月6日午前3時35分頃、京都市左京区の平安神宮で、正月の参拝客に紛れて事前に境内を下見していたとみられる新左翼活動家の男が、内拝殿に放火した。京都市消防局は最高レベルの「全出動」を発令して消火にあたったが、火は本殿にも燃え広がり、外拝殿(大極殿)への延焼を食い止めるのがやっとの状況だった。平安神宮は1895年(明治28年)、平安遷都1100年を記念して桓武天皇を祭神として創建された神社で、朱塗りの社殿群は平安京の政庁を模した意匠として知られる。
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犯行の動機
逮捕された男は、桓武天皇が自らの権威を誇示するため民衆に重い負担を強いて平安京を造営したとし、その天皇を祭神として祀ること自体が「冒涜」であるとする独自の主張を犯行の動機として述べたとされる。天皇制そのものを否定する新左翼系のイデオロギーに基づく犯行とみられ、文化財や宗教施設を標的とした政治的動機による放火事件として位置づけられている。
裁判の経過と最高裁判例
男は現住建造物等放火罪(刑法108条)に問われた。弁護側は、放火された社殿は、神職らが宿直していた社務所などの「現に人が住居に使用」する建物とは別個独立の建造物であり、より軽い非現住建造物放火罪が成立するにとどまると主張した。しかし1989年(平成元年)7月14日、最高裁判所第三小法廷(昭和63年(あ)第664号)は、本殿・拝殿・社務所等が渡り廊下等で接続され、夜間も神職が社務所などに宿直していた平安神宮の社殿群は、全体として物理的・機能的に一体性を有し、一個の現住建造物に当たると判断して上告を棄却し、有罪が確定した。
社殿の再建と判例としての意義
焼失した本殿・内拝殿等の社殿は、全国からの寄付や京都市民の募金活動を通じて再建され、事件から数年のうちに旧観を取り戻した。一方、この最高裁決定は、複数の建物が渡り廊下等で接続されている場合に、放火罪における「現住建造物」としての一体性をどのような基準で判断するかを示した先例として、その後の同種事件でも繰り返し引用されており、刑法各論の教科書でも代表的な判例として取り上げられている。
経過
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1976年1月6日
昭和51年事件・事故 平安神宮内拝殿への放火、本殿等が焼失
新左翼活動家の男による放火で、内拝殿から本殿にかけて焼失した。人的被害はなかった。
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1989年7月14日
平成元年判決 最高裁判所が上告を棄却し、現住建造物等放火罪で有罪確定
社殿全体が一個の現住建造物に当たると判断された。
最高裁判所 (事件番号: 昭和63年(あ)第664号)
出典・公的資料
一次資料 1件 判決文・白書・調査報告書・法令など、原典にあたれる資料を掲載しています。
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判決文・裁判記録
現住建造物等放火被告事件(決定)最高裁判所第三小法廷 1989年7月14日発行 昭和63年(あ)第664号、刑集43巻7号641頁上告棄却、現住建造物等放火罪(刑法108条)の成立を認めた判示要旨(社殿全体が一個の現住建造物に当たる)を確認。公式判例集citation。
- その他
関連する法律用語
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「平安神宮放火事件」事件JP、2026年9月8日閲覧。https://jiken.jp/cases/1976-heian-jingu-arson/
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更新履歴
- 2026年9月1日 初版公開
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