北海道南西沖地震 通称: 奥尻島大津波

発生日 1993年7月12日(平成5年) 1993年(平成5年)の事件 / 7月12日に起きた事件
経過 発生から33年3か月
発生場所 北海道 奥尻郡奥尻町
種別 災害
状態 終結
被害 死者 230人  負傷者 323人
1993年(平成5年)7月12日22時17分、北海道南西沖の日本海を震源とするマグニチュード7.8の地震が発生した。震源に近い奥尻島には地震発生から数分で最大21メートルに達する津波が押し寄せ、青苗地区では津波と火災による被害が重なった。死者202人・行方不明者28人、負傷者323人にのぼり、このうち奥尻町の死者・行方不明者は198人を数えた。住家の全壊は601棟に達した。
北海道南西沖地震を象徴する概念イラスト
※イメージ画像(生成AIによる概念イラストであり、実際の現場・関係者を写したものではありません)
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地震の発生

1993年7月12日22時17分、北海道南西沖の日本海(深さ約34km)を震源とするマグニチュード7.8の地震が発生した。小樽市や江差町などで震度5を観測したが、最も被害の大きかった奥尻町には地震計がなく、震度は計測されていない。津波の第1波は地震発生から2〜3分で奥尻島西部に到達した。気象庁は地震発生から5分後の22時22分に大津波の津波警報を発表したが、震源に最も近かった奥尻島には、それより早く津波が押し寄せていた。奥尻町役場は地震の3分後に防災無線で避難を呼びかけている。
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津波と火災による被害

奥尻島では高さ最大21メートル(藻内地区)の津波が襲来した。島の南部の青苗地区では津波とともに火災が発生し、約1.9ヘクタール・189棟が焼失して市街地が壊滅的な被害を受けた。人的被害は死者202人、行方不明者28人、負傷者323人で、このうち奥尻町の死者・行方不明者は島の人口の約4%にあたる198人だった。家屋被害は全壊601棟、半壊408棟などに及び、北海道の災害救助法適用5町村だけで全壊577棟を数えた。総被害額は約1,323億円に上った。

教訓と防災体制の見直し

震源に近い地域では津波警報の発表より先に津波が到達したことから、警報の一層の迅速化が課題となった。当時の大津波警報の予報文が「高いところでおよそ3メートル以上」という表現だったため、津波の高さを3メートル程度と受け取って避難しなかった住民がいたことも指摘された。一方で、1983年の日本海中部地震で津波被害を受けていた奥尻島では、住民の自主避難が地震発生から平均約5分で始まっており、過去の経験が避難行動に生かされた面もあった。

奥尻島の復興と記憶の継承

奥尻町では、青苗地区などで防潮堤の背後に盛土をして市街地を整備し直し、避難路や避難場所を設けた。10年前の日本海中部地震でも津波被害を受けていた青苗の岬地区は非住宅地区として高台へ集団移転し、津波で完全に流失した跡地は徳洋記念緑地公園となった。北海道で初めての津波水門や、盛土の上に建てた稲穂小学校、1階をピロティ構造とした青苗小学校など、津波を想定した施設も整備された。全国から寄せられた義援金のうち当初90億円を原資として災害復興基金が設けられ、被災者の住宅再建などを支えた。2001年(平成13年)には青苗地区に「奥尻島津波館」が開館し、地震・津波の記録と教訓を伝えている。

経過

  1. 1993年7月12日
    平成5年

    事件・事故 北海道南西沖でM7.8の地震が発生

    震源は北海道南西沖の日本海、深さ約34km

  2. 1993年7月12日
    平成5年

    その他 奥尻島に大津波が到達

    地震発生から2〜3分で第1波が奥尻島西部に到達し、青苗地区では火災も発生した

  3. 1993年7月13日
    平成5年

    その他 自衛隊が檜山支庁に到着、北海道が災害対策本部を設置

    0時18分に陸上・海上自衛隊の災害派遣部隊が到着し、0時30分に奥尻町への災害救助法適用を決定、7時に北海道南西沖地震災害対策本部を設置した。

  4. 2001年
    平成13年

    その他 奥尻島津波館が開館

    青苗地区に、震災の記憶と教訓を伝える施設「奥尻島津波館」が開館した。

出典・公的資料

一次資料 2件 判決文・白書・調査報告書・法令など、原典にあたれる資料を掲載しています。

  • 調査報告書
    内閣府
    震源と規模、最大津波高21m、青苗地区の火災(焼失189棟)、災害救助法適用5町村の被害表(奥尻町の死者・行方不明者198人、全壊577棟)、総被害額、発災直後の対応の時系列を確認
  • 調査報告書
    気象庁札幌管区気象台
    震源・マグニチュード・死者行方不明者数を確認
  • その他
    ウィキペディア日本語版
    全体の人的被害(死者202人・行方不明28人・負傷者323人)と家屋被害(全壊601棟)、津波の到達時間、津波警報の発表時刻と予報文の問題、住民の避難行動を確認
  • その他
    北海道奥尻町
    青苗地区などの市街地整備と岬地区の高台移転、徳洋記念緑地公園、津波水門・学校施設の整備、義援金90億円を原資とした災害復興基金を確認
  • その他
    北海道奥尻町
    奥尻島津波館の開館経緯(2001年開館)と展示目的についての町公式紹介ページ

さらに調べるには

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日頃の備え

大きな地震では、電気・水道・物流が数日以上止まることがあります。最低3日分、できれば1週間分の備えが勧められています。

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「北海道南西沖地震」事件JP、2026年10月30日閲覧。https://jiken.jp/cases/1993-hokkaido-nansei-oki-earthquake/
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更新履歴

  • 2026年9月29日 事実精度監査:全壊棟数(全体601棟と5町村577棟)を区別、確認できない津波警報の目標時間や集団移転の数値を削除、津波警報の発表時刻と避難の状況、奥尻町の復興事業を公的資料に合わせて修正、根拠のない年表項目を削除
  • 2026年7月12日 本文を増補(「奥尻島の復興と記憶の継承」セクションを追加)
  • 2026年7月11日 初版公開

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