東山事件
| 発生日 | 1977年5月8日(昭和52年) |
|---|---|
| 経過 | 発生から49年4か月 |
| 発生場所 | 千葉県 成田市(三里塚芝山地区) |
| 種別 | その他 |
| 状態 | 終結 |
| 被害 | 死者 1人 |
1977年(昭和52年)5月8日、新東京国際空港(成田空港)の建設に反対する運動の支援者が、機動隊との衝突の際に催涙ガス弾の直撃を受け、2日後に死亡した事件。
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事件の経過
千葉県成田市に建設中だった新東京国際空港(成田空港)をめぐっては、周辺農家らによる激しい反対運動が続いていた。1977年5月8日、空港の開港準備を進める政府・空港公団側と、これに反対する三里塚芝山連合空港反対同盟の支援者らが、三里塚地区で衝突した。機動隊が催涙ガス弾を発射する中、支援者の1人が頭部に直撃を受けて重傷を負った。
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支援者の死亡
頭部を負傷した支援者の男性は病院に搬送されて手当てを受けたが、2日後の5月10日に死亡が確認された。反対同盟側は機動隊の対応を強く批判し、警察側との対立はさらに先鋭化した。空港反対運動をめぐっては、これ以前にも1971年の行政代執行の際に警察官3人が死亡する東峰十字路事件が起きており、双方に死者を出す激しい衝突が繰り返された。
成田空港問題への影響
この事件は、成田空港の建設・開港をめぐる対立の根深さを改めて浮き彫りにした。空港は事件の翌年、1978年5月に開港したが、周辺地域との対立は開港後も長期にわたって続いた。三里塚闘争は、戦後日本における公共事業と地域住民の対立を象徴する事例として、その後の大規模インフラ整備における住民合意形成のあり方に大きな教訓を残した。
三里塚闘争の激化
成田空港の建設をめぐっては、1960年代後半から地元農家や支援学生らによる反対運動が激化し、行政代執行や検問所をめぐる衝突で複数の死傷者が出ていた。東山事件は、こうした長期にわたる対立の中で発生した犠牲の一つであった。
空港開港後も続いた対立
成田空港は1978年5月に開港したが、周辺住民との対立は解消されず、その後も管制塔占拠事件などの衝突が起きた。空港の全面的な機能拡充は長期間にわたり停滞し、住民との共生をめぐる課題は21世紀に入っても議論の対象であり続けた。
空港反対運動の思想的背景
三里塚闘争は、単なる用地買収への反対にとどまらず、国家による開発政策と地域住民の生活権とが正面から衝突した象徴的な事例とされる。学生運動や新左翼諸派も加わり、闘争は長期化・先鋭化していった。
経過
-
1977年5月8日
昭和52年事件・事故 空港反対派の支援者が機動隊の催涙ガス弾を受け負傷
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1977年5月10日
昭和52年その他 負傷した支援者が死亡
出典・公的資料
- その他
- その他
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「東山事件」事件JP、2026年9月8日閲覧。https://jiken.jp/cases/1977-narita-airport-protest-higashiyama-incident/
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