佐賀女性7人連続殺人事件 通称: 北方事件

現在 2007年4月、北方事件で起訴された男性の無罪が確定し、7件とも犯人が特定されないまま公訴時効を迎えた

発生日 1975年8月27日(昭和50年) 〜 1989年1月27日 1975年(昭和50年)の事件 / 8月27日に起きた事件
経過 発生から51年2か月 2007年3月19日の確定から19年7か月
発生場所 佐賀県 杵島郡北方町(現・武雄市)・白石町・三養基郡北茂安町(現・みやき町)・武雄市
種別 殺人
状態 未解決 公訴時効早見表で制度を確認できます
被害 死者 7人
  • 未解決のまま残る事件7件すべてが解決に至らないまま公訴時効を迎えた。北方事件で起訴された男性は一審・控訴審とも無罪となり2007年に確定している。
1975年(昭和50年)から1989年(平成元年)にかけて、佐賀県杵島郡北方町(現・武雄市)を中心とする半径約20キロの範囲で、女性7人が相次いで行方不明となり遺体で発見された。7件中6件の被害者が水曜日に失踪していたことから連続性が指摘された。2002年、最後の3件(北方事件)について男性1人が逮捕・起訴されたが、佐賀地方裁判所は2005年5月に無罪を言い渡し、2007年3月の福岡高等裁判所判決でも無罪が支持されて確定した。判決は物証の乏しさを指摘し、取調べで作成された上申書の証拠価値を否定している。7件はいずれも解決に至らないまま公訴時効を迎えた。
佐賀女性7人連続殺人事件を象徴する概念イラスト
※イメージ画像(生成AIによる概念イラストであり、実際の現場・関係者を写したものではありません)
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14年にわたる連続失踪

1975年(昭和50年)から1989年(平成元年)にかけて、佐賀県杵島郡北方町(現・武雄市)、同郡白石町、三養基郡北茂安町(現・みやき町)、武雄市という半径およそ20キロの範囲で、女性7人が相次いで行方不明となり、いずれも遺体で発見された。 最初の事件は1975年8月27日、北方町で12歳の少女が自宅から失踪したものである。遺体が白石町の小学校のトイレの便槽から見つかったのは、5年近く経った1980年6月27日だった。2件目は1980年4月12日、白石町で20歳の女性が自宅から失踪し、6月24日に遺体が発見された。3件目は1981年10月7日、白石町の工場従業員だった27歳の女性が行方不明となり、10月21日に中原町で絞殺された状態で見つかった。4件目は1982年2月17日、北茂安町で11歳の少女が下校途中に失踪し、翌日にミカン畑で遺体が発見された。 7件のうち、土曜日だった2件目を除く6件で被害者が水曜日に失踪していたことから、事件の連続性が早くから指摘されていた。
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北方事件

5件目から7件目は、1987年7月8日から1989年1月25日にかけて、武雄市と北方町で発生した。被害者はいずれも成人で、年齢は37歳から50歳だった。 1989年1月27日、北方町の大峠で3人の遺体が同時に発見された。この3件はまとめて「北方事件」と呼ばれる。一連の事件のなかで最も遅い時期に起き、かつ遺体が同一の場所からまとまって見つかったことから、捜査の焦点となった。 先行する4件については、被疑者の特定に至らないまま公訴時効が完成していった。当時の殺人罪の公訴時効は15年で、2010年の刑事訴訟法改正による時効廃止は、これらの事件には適用されない。

逮捕と起訴

1989年1月の遺体発見後、捜査線上に浮かんでいた地元の男性(当時26歳)が同年10月に別件の覚せい剤取締法違反で逮捕・起訴され、勾留中の取調べで3人の殺害を認める上申書を書いた。しかし男性はすぐに否認に転じ、県警はこのときは殺人容疑での逮捕を見送った。 事件発生から13年が経過した2002年6月11日、佐賀県警察は、別件で服役中だったこの男性を北方事件の被害者1人に対する殺人容疑で逮捕した。7月2日に起訴され、最も早い1987年7月の事件については公訴時効(当時の殺人罪は15年)の完成まで約6時間という7月7日夕方に追起訴された。残る1人についても7月30日に追起訴されている。 起訴の柱となったのは、1989年に作成された上申書だった。公判で被告人は起訴内容を否認し、上申書は取調べで誘導されて作成されたものだと主張した。検察側は死刑を求刑したが、裁判は物証の乏しさと上申書の評価を中心に進んだ。

無罪判決の確定

2005年5月10日、佐賀地方裁判所は被告人に無罪を言い渡した。判決は、犯行と被告人を直接結びつける物証が乏しいことを指摘したうえで、有罪の主要な根拠とされた上申書について、限度を超えた取調べにおける誘導によって作成されたものであり証拠としての価値を認められないと判断した。 検察側は控訴したが、2007年3月19日、福岡高等裁判所も無罪を支持した。二審で検察側が新たに提出したミトコンドリアDNA鑑定の結果も、有罪の根拠とは認められなかった。控訴審判決は、上申書を得るための取調べについて、令状主義を甚だしく潜脱する違法性の高いものだったと指摘している。 検察側は上告せず、上告期限の2007年4月2日の経過をもって無罪が確定した。逮捕から4年10か月、事件発生から18年が経っていた。 無罪判決の確定は、法的にこの男性が犯人ではないと確定したことを意味する。本記事では、無罪が確定した事実を前提に、氏名を含む個人が特定される情報を一切記載していない。

未解決のまま

北方事件の無罪確定により、7件すべてが解決に至らないまま残された。先行する4件はすでに公訴時効が完成しており、北方事件についても新たな立件はなされていない。 この事件が残した論点は2つある。ひとつは、長期未解決事件における自白調書の扱いである。物証が時間の経過とともに失われていくなかで、供述に頼った立証がどこまで許されるのかという問題は、この事件の判決が正面から扱った。もうひとつは、当時まだ発展途上だったミトコンドリアDNA鑑定の証拠価値である。二審判決がこれを有罪の根拠として採用しなかったことは、科学的証拠の精度と限界をめぐる議論に位置づけられる。 被害者7人の遺族にとっては、真相が明らかにされないまま数十年が過ぎたことになる。連続性が指摘されながら立証に至らなかった一連の事件は、佐賀県内で発生した重大事件として記録されている。

審理・経過の流れ

  1. 事件・事故 1975年8月27日
  2. 事件・事故 1982年2月17日 +2,366日
  3. 逮捕 2002年6月11日 +7,419日
  4. 判決 2005年5月10日 +1,064日
  5. 判決 2007年3月19日 +678日

経過

  1. 1975年8月27日
    昭和50年

    事件・事故 北方町で12歳の少女が失踪する(1件目)

    遺体が白石町で発見されたのは1980年6月27日だった。

  2. 1982年2月17日
    昭和57年

    事件・事故 北茂安町で11歳の少女が下校途中に失踪する(4件目)

    翌日、ミカン畑で遺体が発見された。

  3. 1989年1月27日
    平成元年

    捜査 北方町大峠で3人の遺体が同時に発見される(北方事件)

    5件目から7件目にあたり、被害者はいずれも成人だった。

  4. 2002年6月11日
    平成14年

    逮捕 北方事件で男性1人が殺人容疑で逮捕される

    7月2日に起訴。公訴時効の完成約6時間前の7月7日と、7月30日に残る2人について追起訴された。

  5. 2005年5月10日
    平成17年

    判決 佐賀地方裁判所が無罪を言い渡す

    物証の乏しさを指摘し、取調べで作成された上申書の証拠価値を認めなかった。

    佐賀地方裁判所

  6. 2007年3月19日
    平成19年

    判決 福岡高等裁判所が無罪を支持し、上告期限の経過により確定

    ミトコンドリアDNA鑑定も有罪の根拠とはされず、4月2日に無罪が確定した。

    福岡高等裁判所

出典・公的資料

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「佐賀女性7人連続殺人事件」事件JP、2026年10月27日閲覧。https://jiken.jp/cases/1975-saga-serial-women-murders/
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更新履歴

  • 2026年9月29日 事実精度監査:一審判決日(5月10日)と追起訴の日付を訂正、上申書の作成時期(1989年)を明記、水曜日の失踪を7件中6件と明確化、国会会議録を出典に追加
  • 2026年8月20日 初版公開

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