長崎市長銃撃事件
| 発生日 | 1990年1月18日(平成2年) |
|---|---|
| 経過 | 発生から36年6か月 1991年9月7日の確定から34年10か月 |
| 発生場所 | 長崎県 長崎市 |
| 種別 | テロ・無差別襲撃 |
| 状態 | 判決確定 |
| 被害 | 負傷者 1人 |
長崎市長が右翼団体構成員に銃撃され重傷を負った事件。市長が天皇の戦争責任に言及した発言が動機とされた。
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事件の経過
1990年1月18日午後、長崎市長の本島等氏が、市役所前で右翼団体の構成員の男にモーゼル型拳銃で背後から撃たれ、左肩に重傷を負った。市長は病院に搬送され一命をとりとめたが、回復には約1か月を要した。
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発言をめぐる経緯
事件の背景には、本島市長が1988年12月7日の長崎市議会で「天皇の戦争責任」に言及した発言があった。市長は「天皇にも戦争責任があると思うが、多くの国民や連合国の意思により、その責任を免れて新憲法の象徴になった。国民もそれに従わなければならない」という趣旨の発言をしていたが、一部報道では「天皇に戦争責任がある」との部分のみが強調されて伝えられ、右翼団体などから激しい抗議を受けていた。
裁判と量刑
実行犯の男は殺人未遂の罪に問われた。弁護側は、発砲が1発で左肩のみを狙ったものであり殺意はなかったと主張し、傷害罪への訴因変更を求めたが、長崎地方裁判所・福岡高等裁判所とも、動機の内容から明確な殺意があったと認定し、この主張を退けた。1991年9月7日、福岡高裁は控訴を棄却し、懲役12年の判決が確定した。言論の自由と天皇制をめぐるタブーの問題を改めて日本社会に突きつけた事件として、今日でも歴史の教科書などで取り上げられている。
長崎という土地の記憶
長崎市は、1945年8月9日の原子爆弾投下により甚大な被害を受けた都市であり、平和都市としての立場から歴史認識や戦争責任について活発な議論が行われてきた土地でもある。本島市長の発言と、それに続く銃撃事件は、被爆地・長崎における歴史認識問題の重みと、言論に対する暴力的な威圧行為への警鐘として、繰り返し取り上げられてきた。
本島市長のその後
銃撃を受けてなお、本島氏は市長の職を辞さず、任期満了まで市政を担い続けた。その後も歴史認識をめぐる発言や活動を続け、言論の自由を身をもって体現した政治家として、国内外で高く評価された。事件は、公人が信念に基づく発言を貫くことの重みを社会に問いかけた。
事件の呼称と歴史的位置づけ
本事件は「長崎市長銃撃事件」のほか「本島等狙撃事件」とも呼ばれ、戦後日本における言論と暴力の関係を象徴する事件として、歴史教育の教材でもたびたび取り上げられている。
経過
-
1990年1月18日
平成2年事件・事故 長崎市長が銃撃され重傷を負う
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1991年9月7日
平成3年判決 福岡高等裁判所が控訴を棄却し懲役12年が確定
福岡高等裁判所
出典・公的資料
- その他
- 公的発表・広報
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レポート・記事などで本ページを参照する際は、以下の表記をご利用ください。
「長崎市長銃撃事件」事件データベース jiken.jp、2026年8月4日閲覧。https://jiken.jp/cases/1990-nagasaki-mayor-shooting/
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